YAZAWA

横浜アリーナに、色とりどりのタオルが飛び跳ねます、私も用意した真っ赤なYAZAWAタオルを放り上げます。♪のってくれHa~Ha
御年73才、50年間第一線で歌い続けた、矢沢永吉コンサートにやっと行くことができました。横浜アリーナに向かう車中は矢沢グッズに身を包んだ老若男女がタオルを肩にしています。会場入口にはリーゼントに白の上下スーツ姿のYAZAWAがあちこちにいます。
私は、中学生の時に矢沢永吉を知り、その後、自叙伝の「成り上がり」を読みました。当時、熱狂的なYAZAWAファンの友達がよくLPレコードを貸してくれて、兄貴のステレオで聴いていました。兄貴はディスコ音楽が好きでアースウィンド・アンドファイヤーのLPが並んでいました。私は、さだまさしのレコードを買いました。
当時私が聴いていたYAZAWAの好きな曲は「サブウェイ特急」と「トラベリンバス」
サブウェイ特急の歌詞に「ジェームスボンドは、そう髪の毛がはげるまでも、長生きなんて、様にはならねえぜ」があり、その後ジェームスボンド役のショーンコネリーが禿げ上がった姿で映画インディジョーンズの父親役で主演した時は少し感動しました。
人は必ず年を取ります、そして何らかの身体的疲労が現れます、誰でも髪の毛が薄くなったり、白髪になったり、腹が出て来りしますが、73才の永ちゃんは、腹筋の跡もしっかり見え、スタイルは殆ど変わらない様子でステージに立ち、2時間休みなくロックンロールを歌います。S席に座っていても、結局はスローバラード以外90%以上起ちあがり拍手をしています。
永ちゃんが、ギターをとって久しぶりのサブウェイ特急を歌いました、50年前のギラギラしたエネルギー溢れる歌ではなく、73才の今のサブウェイ特急は、それはそれは味わいのある唄となり「カッコイイ」の一言です。
「ジェームスボンドは、そう髪の毛がはげるまでも、長生きなんて、様にはならねえぜ」と歌いながら、自らの頭を指しました。もうリーゼントではありませんが、前髪を降ろした永ちゃんが大画面モニターで汗をかいています。相当節制して日々鍛錬しているんだと想像できました。
永ちゃんが、「50年間歌い続ける事ができて、皆さんに感謝です、・・いつまで歌い続けるかって?・・・歌えるまで歌い続けますーヨロシク」と言った後、1万2千人の会場は大拍手に包まれます。そしてアンコールでのテッパン曲「止まらないHa~Ha」が流れます。のってくれHa~Haに合わせてYAZAWAタオルが宙に浮きます。全員がタオルを投げるその壮観な姿、私も、おもいっきりタオルを投げ上げます。
数日前にファンクラブサイトから買った、真っ赤なYAZAWAタオルは、妻が「タオル持ってるの?」と聞いてくれて急遽通販サイトで用意したものです。
当初はスーパー銭湯で、回数券購入時のプレゼントで貰った、ド派手な黄色に赤字で「健美の湯」と書いたバスタオルで誤魔化そうかとも考えましたが、会場のファンからボコられるのが怖くて、急いで買いました。入場する時から首にかけてヨロシクと気合をいれて臨んで正解でした。
最後の曲を歌い終え、黒いTシャツ姿で舞台の袖に引っ込み、会場からアンコールの拍手がしばらく続いた後、スポットライトを浴びた上下白のスーツに着替えたYAZAWAが再び現れたときは本当に、カッコよかった。周りには同じ白スーツ姿の、太ったり、禿げたり、白髪のエセYAZAWAが多く居て、中には、どうみてもフーテンの寅さんも混ざっていました。
でもそんな50年を共に過ごし、現実を共に歩んだ人々にも、そしてその子供たちにも、「カッコイイ」を届ける事が出来るエンターティナーがYAZAWAであるのは間違いありません。
50年の間に、仕事でつまずいた人もいるでしょう、子どもがグレた人も、離婚やリストラ、精神的に、つらい目に合った方々も、きっと沢山いたと思います、それでも永ちゃんは50年間変わらず、歌い続けている、そこに集い共に存在を確認する、壮大なエネルギー溢れる同窓会のような感じがしました。
なぜならコンサートを終えた横浜に、目を輝かせた多くの寅さんがいたからです。
その日は2022年を締め括るステキな師走の夜になりました。
「ヨロシク」